9月23日(土)の安息日、安中教会では、東京インターナショナル・チャーチ(TIC)から、マーク・デュアート牧師を迎えて、安中教会国際部と合同で安息日礼拝を持ちました。礼拝説教のタイトルは、「神の残りの教会」という興味深いものでした。TICからのグループも含めて、60名の出席者で、昼食会も含めて楽しい交わりの時を過ごすことができて、感謝でした。

梅雨明け宣言のあとに、続いた長雨のおかげ(?)で、この夏は、雑草との戦いでした。

 私が草取りをすると、翌日雨が降るというパターンが延々と続きました。

 ついに、雑草の背丈は、私の膝よりも高く(涙)、それで、ついに混合油入りの草払い機の登場とありなりました。

 草払い機で、どうやって雑草を退治するかと申しますと、凄い勢いで回転している金属製のチップソーを、草の根の部分に差し込み、根っこから、雑草を退治するというわけです。ところが、退治したと思ったら翌日雨、そのまた次の日も雨、雨、雨、で、またまた、草刈り機のご登場に・・・。こんな「草取り」は、71年の人生初めてでした。

そういった事情もあり、今年の畑の収穫は、ミニトマトと、小さなナス・・・だけと嘆息しておりましたら、2株だけ植えたゴーヤが、見事な実をつけてくれました。苗を植えて、有機の肥料をやっただけなのに、あまりにも、いじらしいですね!

 ところで、このところの体調の関係もあって、ここ2か月余りで、新約聖書を読み終え、旧約聖書の現在、申命記に入ったところです。

 少し前に、レビ記を読んでいたら、こんな聖句がありました。

「あなたたちがわたしの与える土地に入ったならば、主のための安息をその土地にも与えなさい。六年の間は畑に種を蒔き、ぶどう畑の手入れをし、収穫することができるが、七年目には全き安息を土地に与えねばならない。…畑に種を蒔いてはならない。ぶどう畑の手入れをしてはならない。休閑中の畑に生じた穀物を収穫したり、手入れせずにおいたぶどう畑の実を集めてはならない。土地に全き安息を与えねばならない。・・・『七年目に種も蒔いてはならない。収穫もしてはならないとすれば、どうして食べていけるだろうか』とあなたたちは言うか。わたしは六年目にあなたたちのために祝福を与え、その年に三年分の収穫を与える。あなたたちは八年目になお古い収穫の中から種を蒔き、食べつなぎ、九年目に新しい収穫を得るまでそれに頼ることができる」(レビ記25章2-5、18-22節参照)。

 面白いな、と感じました。
この8月で、現在の場所に来て、丸六年が過ぎ、七年目に入ったところだったからです。 「土地に安息(休み)を与える」という考え方は、連作障害から守られるということもあるでしょうが、地力の回復ということもあるのかもしれないと思います。

 日本の農業が、農薬と、化学肥料の使用過多のために、地力が落ちて、本来持つべき栄養素が少ない作物になっている、とは以前から耳にしていました。

 また、近年話題(問題)になっている野生動物の問題とも関係があるようにも思いました。 「安息の年に畑に生じたものは・・・あなたをはじめ、・・・あなたのもとに宿っている滞在者、更にはあなたの家畜や野生の動物のために、地の産物はすべて食物となる」ともあるからです(同6,7節)。

 畑に積み上げられた、枯れた雑草、あとからあとから生えてくる雑草を見つめながら、7年目の菜園を、どうするか、楽しく思いを馳せている今日この頃です。(2017年8月)

当たり前?

 

新幹線から在来線へのつなぎの時間が、小一時間あり、T駅のコンビニ前のベンチにすわって時間をつぶしました。コンビニで水を買い、ベンチに戻ろうとした時、私と同い年ぐらいの小柄な一人の男性が、行き交う人波の中に立っているのが見えました。

ベンチに腰を下ろしてみて気がついたのですが、その人は、立っていたのではなく、「歩いて」いたのでした。

しばらく見ていてわかったのですが、彼の歩行速度は、1分間にせいぜい、10-20センチでした。

一瞬、いくつかのことが脳裏をよぎりました。

手を貸すべきか、しかしそれは、この人の望むことか、本当の意味で助けになるだろうか、など。

ふと、彼の進む方向(座っている私の右側)に目をやると、下のホームにつながるエレベーターが見えました。 「ああ、この人は、エレベーターに向かって歩いているのか」。もしそうなら、エレベーターのボタンを押すくらいの手伝いは、できるだろうか。

 見る間に、彼の足取りは、前方につんのめるように、はやまったように思えました。

 その時、左から再びやってきた人波に混じって、2人の大柄な駅の係員が、くだんの人に近寄り、行き先などについて尋ねはじめ、そして間もなく、一緒に、エレベーターの中に消えていきました。

 私は、その人の生活に思いを馳せ、その人の日常の大変さを思いました。

 そして同時に、私たちが、日頃、当たり前と思っている、「歩く」という行為が、実は、素晴らしいこと(表現が適切かわかりませんが)なのだと、思い知りました。

 今日は、先週(12日)の声帯ポリープの手術の退院から1週間目の診察で、病院へ行っての帰りでした。組織検査の結果は、悪性ではなく、正常な声に戻るまで、今しばらくの治療と忍耐が必要でありこそすれ、安堵しつつ帰途についたところでした。

 生かされている恵み、ありがたさを神に感謝し、残された人生を力及ばずながらも、神の栄光のため、また

他の人の幸せのために送りたいと思いました。

 健康な足で歩けること、普通の声でしゃべり、歌えることー、その当たり前のことが、決して当たり前ではないことを、改めて肝に銘じさせられた一日でした。

丸6年が過ぎました。

牧師の安居益也(やすいますや)です。

2011年3月下旬に群馬入りし、家のリフォームを経て、同8月から安中市の現住所に居住するようになり、実質、7年目に入りました。

「光陰矢のごとし」(英語では、Time flies an arrow.とか)言いますが、過ぎてしまえば、あっという間でした。

 

教会のホームページを、人に手伝ってもらって立ち上げたものの、なかなか、更新のやり方がわからず、本も何冊か買ってみたものの、今一つわからず(というか、根気の問題ですね。笑。)、先日、再度、1冊購入し、今、やっとこうして、新たに入力しています。今後、少しずつ、覚えて、極力定期的に入力して行きたいと思っています。

2016年

11月

05日

国際部1周年

2015年11月に発足したセブンスデー・アドベンチスト安中教会の国際部が、1周年を迎えました。神様の恵みを感謝いたします。安中教会国際部は、主として、群馬県内のフィリピン人の方々によって構成されており、安中市内の方々も含まれています。また、TIC(東京国際教会)とも連携して運営されています。日本語部共々、皆様のおいでをお待ちしています。

 AIC(International Department of Annaka Church) celebrated the 1st anniversary since its establishment in November 2015. We are so thankful for God's grace for that. AIC consists of the members from the several areas in Gunma prefecture.  Some of them come from the vicinity of the church.  We appreciate the cooperation of TIC (Tokyo International Church) for the advancement of AIC.  AIC, together with Japanese Dept. of Annaka Church, welcome everyone, so please come to join us.

2016年

7月

09日

国際部の発足

セブンスデー・アドベンチスト安中キリスト教会(集会所)に国際部が発足し、本日、日本人グループと一緒に、最初の合同礼拝を行いました。昨年11月から、安中教会の信徒宅で、フィリピン人を中心とした集会を開始し、今日の合同礼拝に至りました。第1回目ということで、昨夜来の雪模様のお天気だったにもかかわらず、前橋や東京からも、駈け付けて下さり、子供3名を含む40名が参加しました。礼拝説教者は、東京国際教会(TIC)のマーク・デュアート牧師で、奥様の朱見夫人が通訳をして下さいました。礼拝後、(数名の帰宅者がありましたが)和気あいあいとした昼食会をし、楽しい時を過ごしました。今後の交わりが楽しみです。

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2016年

4月

17日

安中教会パスファインダークラブ発足につて

このたび、パスファインダークラブを創設いたします。

 

パスファインダークラブ(Pathfinder Club:略称PFC)とは、「道を探す者」という意味で、昔、米国のSDA教会ではじまったキリスト教少年団のクラブ活動です。

 

長年、各地のSDA教会で、この働きに携わってきましたが、このたび、安中教会でも、活動を開始致します。

 

PFCでは、救急法や、奉仕活動(緊急時の募金活動など)、野外キャンプなど、とても楽しく、有意義な活動です。

人命救助につながるロープワークなど、日常生活に役立つ演習もおこないます。

今の時代に、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(新約聖書マタイによる福音書7章12節)との聖書の『黄金律』の精神を実践してまいります。

 

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2015年

12月

21日

感謝

恵み深い主の御名を賛美いたします。

昨日は、昨年に続き、安中教会第2回のクリスマス・チャリティコンサートを行うことができ、感謝でした。

今回は、私たちの教会の三育教育機関の一つである、北浦三育中学校(茨城県)より

エンジェルスベルクワイアを迎え、数々のクリスマス曲をはじめ、ハンドベルの妙なる音色を堪能しました。また、地域の男声合唱団コールバウム(16名)による迫力あるアカペラの合唱や、数種類のハーモニカを駆使してのハーモニカ・アンサンブルも大好評でした。今年は全体で、大人だけでも、約110名の方々が来場して下さり、安中教会と白才むら始まって以来の盛況ぶりでした。近くの温泉でチラシを見てこられた方々など、地域の皆様をはじめ、およそ6割強の方々が初めておいでになり、天の調べ、また牧師のメッセージに、耳を傾けて下さいました。任意の歳末助け合い募金にも多くの方々が協力して下さり、昨年にまさる皆様の浄財を、全額、本日早速、安中市社会福祉協議会に届けることができ、大変喜ばれました。何よりも、大勢の皆様に、セブンスデー・アドベンチスト(略称SDA)安中教会と、NPO法人白才むらのことが知って頂けたことが私たちの喜びでした。今後も、地域の方々の必要に答える教会として成長していけたらと願っています。

2015年

12月

09日

チャリティコンサートのご案内

師走に入り、寒くなってきましたが、皆様には如何お過ごしでしょうか。 セブンスデー・アドベンチスト(SDA)安中キリスト教会では、来る12月20日(日)午後2時半から、昨年に続いて、クリスマス・チャリティコンサートを開催致します。今回は、北浦三育中学校(茨城県)よりエンジェルスベルクワイアを迎え、すてきなハンドベルの調べをお楽しみ頂ければと思います。曲目は、「鐘のキャロル」「くるみ割り人形」、他8曲を演奏します。 賛助出演として、安中市を中心に活躍中の男声合唱団「コールバウム」と、群馬ハーモニカ音楽友の会の3名のプロによるハーモニカアンサンブルによる演奏もあります。 是非、お越し下さいますようご案内致します。会場は、「NPO法人白才むら健生会」の三育健康センターです。 お車で来られる方は、「安中市嶺614-3」を入力して下さい。会場に着きます。 高崎方面からは、国道18号線上の碓氷病院入口を右折し、1.8キロ直進(途中、碓氷病院、明嶺荘を過ぎ、嶺直売所を右に見て、さらに200メートル進むと道路左側の白いガードレースの切れ目に、「白才むら」の看板があります。そこを、左折、150メートルで到着です。お気をつけていらして下さいね。

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2015年

8月

14日

命の言葉

昨日、義弟から、すてきなバースデー・プレゼントを贈呈されました。かつて私も籍を置いたことのあるアンドリューズ大学のAndrews University Press 発行のスタディ・バイブルです。学究的、神学的、実際的なコメントが付されており、今後の御言葉の学びが楽しみです。ちなみに、聖書の本文は、新欽定訳(The New King James Version)です。人生70年目に向かって、何よりも自分自身が神に深められる者となるよう願っています。そんな嬉しいサプライズ・ギフトでした。

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2015年

8月

11日

「法」について

今年ほど、「法」について意識し、また議論されたことがあるでしょうか? 「法」というと、まず、次の聖書の言葉を思い出します。最初は、世界の終末についての弟子たちの質問に対して答えたイエス・キリストの言葉です。

『不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える』(マタイによる福音書24章12節)。

 つまり、世界歴史の終末が近づくと、「不法」がはびこり、その結果、社会が無法化して、秩序を失い、人間相互にあるべき基本的な信頼、愛、思いやりが失われていくとキリストは言われたのです。

 

 次は、使徒パウロの言葉です。

『罪を犯す者は皆、法に背くのです。罪とは、法に背くことです』(ヨハネの手紙一、3章4節)。

 

 人間が神様に創造されたとき、人(アダムとエバ)の心は、創造者であられる神への愛と、お互いに対する愛で満ちていました。神様がそのような存在として人を創造されからです。彼らの心には、神の御品性そのものである愛の法(掟)が、心に刻印されていました。

 しかし、人が神(つまり「法」)にそむいた時、罪の遺伝子が愛の遺伝子に取って変わり、その結果、世界は混乱し、秩序を失っていきました。

 そこで、神は、モーセの時代に、十戒を与えられました。つまり、アダムの心に不文律の形で刻印されていた「法」が、2枚の石の板に、神ご自身の手によって、成文化された形で、刻まれて与えられたのです。 それが十戒です。

 イエス・キリストは、この十戒について質問を受けた時に、次のようにお答えになりました、

 「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』」と。

 つまり、十戒の本質は、神と人への愛であって、第1戒から第十戒までの10の戒め(掟)は、その愛を具体的に現わしたものであると言われたのです。

 話が、やや飛躍しますが、世界各国の「憲法」は、程度の差はあっても、この十戒が土台となっていると言って、良いでしょう。

 わたしたちの祖国である日本にも、「平和憲法」として知られる素晴らしい憲法が与えられていますが、戦後70年目の今、この憲法が危機にさらされているように感じます。私だけでなく、多くの人々がそのように感じています。

 使徒パウロは、次のように述べて、為政者のために祈るよう勧めています。『そこで、まず第一に勧めます。願いと祈りと執り成しと感謝とをすべての人々のためにささげなさい。王たちやすべての高官のためにもささげなさい。・・・これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです』(テモテへの手紙一、2章1-3節)。

 国家が、神のみ心に逆らって、間違った方向に突き進み、国民を

不幸に陥れることがないように、今こそ、私たちは、国家のかじ取りをする責任を負わされている総理大臣をはじめ、為政者一人一人のために、涙をもって、切に祈らなければならない! それが、古希(70歳)に向かう第一日目の私の思いです。

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2015年

7月

11日

大胡集会所

7月11日(土)は、私が担当するもう一つの教会、セブンスデー・アドベンチスト大胡集会所の礼拝に行ってきました。大胡集会所は、40年以上にわたって盲老人ホームで集会を行っており、毎週安息日(土曜日)には、15-20名の入居者の方々を含めて、約30名が出席をして礼拝をし、その後は、教会員などで安息日学校(聖書研究のプログラム)を持っています。今回の研究のタイトルは、「アブラハムー最初の宣教師」でした。月1回、牧師が行くときは、みんなで車座になって、小グループ方式の聖書研究をしています。みなで、感じたことを分かち合い、話し合う聖書研究(帰納法的聖書研究)で、思わぬ洞察や意見が飛び出したりして、とても有益です。礼拝後、昼食を囲んで交わりの時をもちます。初めて、写真を撮ってみました。小さなこの教会が、入居者の皆様の慰めとなりますよう、祈りつつ、集会をつづけています。昼食後、Kさんが、少し前に、讃美歌を吹き込んでさしあげた入居者の方のところに案内して下さいました。そこで、ご要望(?)により、「いちわのすずめ」を歌い、ご一緒にお祈りさせていただきました。


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2014年

9月

19日

全能者である神

皆様、お久しぶりです。久々の更新です。HPも、これだけ放置すると、見捨てられるかも知れませんね(笑)。

 

 さて、セブンスデー・アドベンチスト教団では、年4回『今日の光』という冊子を出版しています。 これは、主として、信徒や関心がある方々の、日々の瞑想(デボーション)のためです。

 今年は、ジョン・ポーリーン博士(現在、米国カリフォルニア州のロマリンダ大学神学部教授)による「パトモスからの福音」(The Gospel from Patmos)を山地明名誉牧師が抄訳されたメッセージが、毎期(今回は、7-9月)提供されています。新約聖書の「ヨハネの黙示録」を聖句を引用して、わかりやすく解説されています。

 

 今朝(9月19日)のメッセージが素晴らしかったので、皆様にもお分かちしたいな、と思いました。タイトルは、「全能者である神」です。

 

全能者である神

「彼らは、神の僕モーセの歌と小羊の歌とをうたった。『全能者である神、主よ、あなたの業は偉大で、驚くべきもの。諸国の民の王よ、あなたの道は正しく、また、真実なもの』」(黙示録15:3)

 

 黙示録は神を「全能者」として描いています。もしわたしたちが神の求めておられる場に身を置くなら、わたしたちの小さな力を用いて、神は大きなことをなさいます1900年頃フィラデルフィアで起こった驚くべき出来事は、このことを実証しています。

 少女が泣きじゃくりながら、小さな教会の外に立っていました。「教会が人でいっぱいなので、わたしは日曜学校に行けません」と、彼女は通りかかった牧師に言いました。すり切れた洋服を着て、髪ももじゃもじゃの外見から、彼女が教会に入れない本当の理由を想像した牧師は、少女の手を取って日曜学校に連れて行きました。

 それから2年後に、その子は死にました。両親は娘によくしてくれた牧師に、娘の最後の見送りを頼みました。彼女の小さな遺体を動かしたとき、家族は赤い小さな財布を見つけました。財布の中には57セントと、「これは、もっと多くの子どもが日曜学校に行けるように、もっと大きな教会を建てる助けにしてください」とこの子が書いた紙切れが入っていました。

 2年間、彼女はこの愛の献金を蓄えていたのでした。牧師はこの紙切れと赤い財布を手にして、講壇でこの少女の愛と献身の証しをしました。

 この証しが新聞に載りました。富豪の不動産業者がそれを読み、高価な土地をわずか57セントでこの小さな教会に売ったのでした。教会員も多くの献金をささげ、5年後には少女の献金が当時としては巨額の25万ドルまで増えたのでした。

 今日フィラデルフィア市には、3,300人を収容できるテンプル・バプテスト教会とテンプル大学が建っています。これは、全能者が人の愛のささげもの(57セント)を用いて何がおできになるかを示す実話です。

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2014年

5月

13日

人生の真の希望

 

人生の真の希望

 

『わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています』

 

(新約聖書フィリピの信徒への手紙3章20節、新共同訳)

 

 

 なんという希望に満ちた言葉ではないでしょうか!!

 

昭和の歌姫、美空ひばりさんが歌った名曲『川の流れのように』の中に、「生きることは旅すること」とありますが、私たちは「旅人」としてこの世に生きています。

 

 しかしそれは、終わりのない旅ではなく、神様が私たち一人一人の

 ために備えておられる「天国」に向かっての、希望と喜びに満ちた旅

なのです。

 人生には、さまざまな困難や失望、また痛み・苦しみがありますが、

それらを通して、神は、私たちの目を「もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも労苦もない」永遠の国に向けようとしておられます(黙示録21章)

 そこへ行けるように、イエス・キリストは、永遠の滅びから逃れる

ための身代金を支払って下さいました。それが「十字架」でした。

 

 キリストの十字架の身代りの死を、私のためになされた神の愛の

贈り物として受け取る時、罪のゆるしと、永遠の生命の約束が与え

られます。

  この希望を心にしっかり持って生きるとき、真の希望と勇気が与え

られます。

  永遠の生命を視野に入れた人生は、現在、自分がおかれた場所で

最善を尽くして生きる力をあたえます。

 いろいろな限界の中でもなお、輝いて生きることができるのです。

 

教会は、この希望を共有したいという願いをもつ人々の集まりです。

  ぜひ、いらしてください。心から歓迎いたします。

 

              (牧師 安居益也)

 

 

 

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2014年

4月

14日

忘れえぬ顔

昨日(2014年4月13日)、上の孫娘の明日の授業参観に当たって、下の孫達の面倒をみるために、家内を埼玉の娘の自宅まで送りました。ちょうど日曜日でもあり(婿は仕事ででかけていましたが)、好天で、家のすぐ近くにある猫の額ほどのちっちゃな公園で、みんなで遊んでいました。ひと時、一緒に遊んで、明日の用事のために群馬にとんぼ返りの帰途につこうと、駐車場に停めた車まで戻ったとき、すでにそこに、一番下の孫(涼)が娘に手を取られて待っていました。「また来るからね」の一言のあと、乗車し、車の窓を開けた時、娘が、近所の子と飛び回っている上の孫達を指さしながら「行こうか」と言うと、「いやだ!」と孫。びっくりして見ると、そこに、母親に手をとられたまま、じじ(私)の顔をまっすぐに見ている孫のつぶらな瞳がありました。。「あっ、お見送りしたいんだね」と娘。その時の孫の顔は、永遠に私の胸(心)に刻印されました約100キロ離れた群馬に向かって車を走らせながら、

思わず、35年前の渡米に当たって大阪の空港でしばしの別れをした時の幼い息子の顔が浮かびました。人生には、生きる力を与えてくれる「忘れえぬ顔」がありますね。

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2013年

1月

09日

新年にあたって

新しい年に入って、もう2週目に入りました。

お正月に、良く読む随筆を紹介します。題して、「新年の夢」

 

新年の夢

                     羽仁もと子

 

夢をむすぶ幾度、むすんでは解け、とけては結ぶ。

その夢が円かになると、夢が形をとって現世に生まれ出る。

二葉のように、嬰児のように。

 夢なくして新しい年を迎えてはならない。他人(ひと)の夢をわが夢と思いちがえてはならない。

  わが願望(ねがい)の庭から、 静かにほのかに見えそめて来る、いろいろの夢を見よう。

 年の始めに夢を見よう。

清き思いを与えたまえ、 清き願望を与えたまえ、

清らかな夢を見るように。

  だんだんさやかになって来る夢を見るのは楽しみである。

夢をそだててゆくのは楽しみである。

 自分一人の夢でなく、多くの友の夢がほしい。

清らかに結んだ夢が恵まれて、

ことごとく現実になる夢を見よう。

 

※今年のあなたの夢は何ですか?

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友、遠方より来る

 

韓国の親しい友人のCさんご夫妻が、伝道チームと一緒に

来日したとの連絡があり、今日、セブンスデー・アドベンチスト

東京韓国人教会に、家内と行ってきました。家内は、17年ぶり、

私は、5年前に韓国へ行った時にお会いして以来の、嬉しい再会

でした。

今回は、韓長老という方が講師となって行われる講演会のために

来日されたとのこと。

ごくごく限られた韓国語のほかは、アイコンタクトや握手などの

非言語によるコミュニケーションが主体でしたが、家内は、私も

理解できない韓国語の数語で話しかけて、皆さんを驚かせて

いました。

それでも、日本人の求道者の方がお二人おられるということで、

成牧師から、聖書研究の要請を受け、KさんとYさんというお二人

の男性の方と一緒に、神様の言葉、聖書から学ぶ貴重なひと時を持つことができたことは、嬉しい経験でした。

自分の家族(私の「生みの家」)になされた神様の不思議なみわざをお伝えし、最後に、私の生みの父(廣田克己)が、仏教信仰からキリスト信仰に導かれたお話をしたときは、心が(感動で)震えるのを押さえることができませんでした。一緒に学んで下さったKさんの目も潤んでいて、それを見てまた感激しました。

牧師にとって、神の御言葉を伝えることは、やっぱり最高の喜びだな、と改めて実感しました。貴重な経験を与えて下さった成牧師に感謝しました。

家内共々、韓国の信仰の姉妹方による治療という「おまけ」までついた有意義なとんぼ返りの旅行でした。 神のみ名を賛美します。

 

春は来たりつつある

 

     雪は降りつつある
     しかし春は来りつつある

     寒さは強くある
     しかし春は来りつつある


     春は来たりつつある

     春は来たりつつある


     雪の降るにもかかわらず
     寒さの強きにもかかわらず
     春は来たりつつある

 

     慰めよ、苦しめる友よ
     汝(なんじ)の艱難(なやみ)多きにかかわらず
     汝の苦痛(いたみ)強きにもかかわらず
     春は汝にもまた来たりつつある

 

     ※新島襄と並んで、上州(群馬県)が生んだ

      偉大な思想家であり、クリスチャンであった

      内村鑑三の詩です。

      彼の人生は、熱意と期待が裏切られることの多い

      生涯であったように思います。 その中で、

      ひたすら真実な信仰を神に傾けて69年の地上

      生涯を全うしました。 時代もコンテキストも

      異なりますが、時節柄も手伝って心に響く詩の

      一つです。